映画「世界から猫が消えたなら」はタイトルからは想像できない内容を秘めていた

映画「世界から猫が消えたなら」の感想です。
前々から見たいと思っていた映画ではなく、A-Studioで鶴瓶さんが「これはDVDとかではなく映画館でみるべき映画。横槍が入って集中が途切れない映画館でみるべき」と言っていたのが印象に残っていたので観てきました。

《ネタバレを含んでいる場合がありますのであしからず》

あらすじ

余命宣告を受けた青年が「世界からひとつだけものを消すと1日寿命がのびる」という悪魔のささやきを受け入れて、大切なものがなくなった世界で自分の大切なものを思い出していく物語。

感想

単純に命ってなんなんだろう、命って何でできているんだろうと考えてしまう物語。

命って何で出来ているか考えたことはあるだろうか。
心臓とか血とか肉とか物理的なものを命と呼ぶことはできるけどなんだか味気ない。
いままであまり深く考えたことはなかったけれども、時間とは命だという考えはあった。
でもこの映画を見て「命は時間と記憶でできている」のかもしれないと思うようになった。
時間だけでなく記憶も命なんだと思うようになった。

主人公の青年は付き合っていた彼女がいた。
その彼女とは電話がきっかけで出逢った。
映画では最初に電話がこの世界から消えた。
彼女との出逢いのきっかけである電話がこの世界から消えた。
そうすると彼女の記憶から主人公の存在が消えてなくなっていた。

つながりが切れるとはその人との関係が一切なかったということ。
その人との思い出も一切なかったということになる。
なんて残酷なんだろう。

大切な人の中から自分の記憶が消えてしまった時どんなことを感じるだろうか。
とてつもない脱力感が襲ってくる。
今まで何をやっていたのだ。今までのは何だったんだ。
自分は何なんだ。自分はなんて無力なんだ。

この世界はかけがいのないものばかりでできている。
ひとつでも欠けてはだめだ。
欠けていたら今の自分は絶対に存在しない。
そう考えていくと世界は美しくて愛おしいものだ。

明日死ぬことがわかっていて、世界からひとつ消して1日生きれるとしたら、あなたは消すことを選びますか?それとも死を選びますか?

私は死を選ぶだろう。
かけがいのないものは消したくない。

この世界は不確実なことが多いけど唯一わかっていることがある。
それは必ず死ぬということ。
わかってはいるけれどもどこか現実味を感じなくて意識せずに生きてしまっている。

でももし明日がこないことがわかっていたら、
あと3ヶ月しか生きられないとわかったら、
悔いは残るだろうけれど、出来る限り悔いが残らないように生きたい。

この限りある命を精一杯生きたい、生き抜きたい。